『DEMONLOVER』 『DEMONLOVER』
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オリヴィエ・アサイヤス監督インタビュー
オリヴィエ・アサイヤス監督
オリヴィエ・アサイヤス監督

プロフィール
1955年1月25日生まれ、フランス・パリ出身。
フランスを代表する映像作家のひとり。パリのエコール・ド・ボ ・ザール大学で学ぶ傍ら、初のショートフィルム「Copyright」 (79)などの短編映画の監督や製作を手掛けていた。86年、『Disorder』(86)でデビューを果たす。細やかな心理 描写が高く評価され、彼の特徴である現代社 会を象徴する作風の片鱗が垣間見れた。 96年、彼の作品で最も有名で認知度の高い作品となってい る『イルマ・ヴェップ』は、マギー・チャンが出演し、カンヌ映画祭、ニューヨーク映画祭などに出品。コンスタントに作品を手 掛け、映画評論家出身の確かな演出力を持つ監督として評価されて いる。最新作は、2004年のカンヌ映画祭で正式出品された『Clean』。
オリヴィエ・アサイヤス監督ビデオコメント

誰も知らない、自分すら知らない、"人の本当の姿"を描いた。

セックスとバイオレンス。幸福と堕落。自作『DEMONLOVER』において、これらのふたつの衝撃的な演出に成功したオリヴィエ・アサイヤス監督。フランス映画界で賛否両論の嵐を巻き起こした作品は、監督さえも無意識のうちに現代社会へのアンチテーゼを含むものとなっていた。

よく言われますのが、アニメーションのシーンですね。これまでのヨーロッパ社会で見飽きたような形の映像や画像で表現するのではなく、今までヨーロッパ人が見たことのない形で暴力とセックスを表現してみたいと思ったんです。お金という概念についても、この映画を観ていただけるとわかるのですが、お金が(売り上げが)とても重要なものとされる社会に生きるビジネスマン達がとても真剣な顔で登場します。しかし、その商取引の対象が何かは最初まだ何も知らされていない。まるで銀行のように、お金が抽象的なものとして存在している。でも物語が進むにつれて、たとえばビジネスランチのシーンなどで、アニメが買収の対象であり、さらにセックスとバイオレンスが一番鍵になっているということが明らかになってくる。すると、その一番過激で直義的なやり方がアニメとの結びつきということで、ああいったポルノチックなアニメーションという形での表象になったのです。

映画の中では、バーチャルリアリティというものがキーワードになっている。よく実際の現実世界と対比させて使われるSF的な言葉だが、オリヴィエ監督の考えるバーチャルリアリティは通常のそれとは少し違う。

オリヴィエ・アサイヤス監督僕にとって「バーチャル」の意味は、イマジネーション=想像力の別の言い方そのものだという風に思っています。人間は現実的な社会に生きて生活していながらも、想像というものからかけはなれてはいません。彼ら自身も想像し、想像物と接して生きているわけです。ですから、想像された世界と現実生活と、どちらがよりリアルかということは言えないと思うんですね。彼らの中ではどちらもリアルであり、ただ、現実社会のなかで触知できるものとできないものだという、それだけの違いじゃないかなと思います。でもどちらも現実なのです。

ヒロインのディアーヌは、自分自身の欲求や我を持っていない。会社のため、組織のためと、自分の人生を生きていない。このディアーヌという存在が現代社会へのなにかしらの警鐘という風に感じる見方も決して少なくはない。

たしかに現代人が経験していることと、とても結びついているかもしれませんね。最初、ディアーヌは大企業のために働いているように見えますが、実は彼女はスパイであって、また別の顔を持っている。でも次の段階、ひょっとしたらさらに3番目の違うアイデンティティが彼女にあるのではないかと思わせるほど、彼女の存在はミステリアスなわけです。彼女自身も、いろいろな役を演じることで、自分自身が誰だったのか忘れているという状況がある。

『DEMONLOVER』の作中に登場する"バーチャル"な映画に限らず、現代にも十分あてはまる考え方だ。観ているほうとしては、まさに自分のことを言われているのではないかとドキリとすることが他多々描かれている。

そうですね。確かに本当の自分の姿以外の形を持つということは、彼女に限ったことではなく、現代社会において、人間は多かれ少なかれさまざまな役柄をそのときその状況によって演じているわけですね。それは、たとえば仕事人間であれば、自分が勤めている会社と一体化して、まるでその会社の運命を背負う代弁者になっていたりすることがある。自分が本当に支持しているものは一体なにか、自分は一体なんなんだということを忘れているという状況が、ひょっとしたらディアーヌのような女スパイだけでなく、われわれ企業社会に生きてる人間の中にも同じような性格というのは表れているんじゃないですか。

オリヴィエ・アサイヤス監督一見すると今回のヒロイン達は、人生を「落ちていっている」とも見られがちな演出になっている。しかし、その裏には実は彼女たちに対する監督の深い愛情がああった。

もちろん幸せを追求するためにそのように演じ分けている人間もいるでしょうが、僕が思うに、そういう演じわけの最終目的はお金と権力じゃないかな、と思うんですね。個人的な幸せとは相反するお金の価値、権力の価値が、我々の存在の中であまりに肥大化していて、お金と権力を望もうとすると、必然的に幸せをあきらめないといけない状況がある。それを求める人たちというのは、そういう産業的なメカニズムに自分を一体化させて、目的は幸せでなくてそういう富の蓄積、そっちのほうに向かっているんじゃないかという気がします。もしこの映画が不吉であるとか悲観的であるという風に感じられるところがあるとしたら、「お金に対する肥大化した価値観がこの現代社会をだんだんと支配してきている」と感じている僕の世界観が投影されているのかもしれません。

(取材・文:新田 哲嗣 / 撮影:丸山 剛史)

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