「THE JUON/呪怨」



1972年7月27日群馬県前橋市生まれ。近畿大学芸術学科で演劇・芸能を専攻、役者と してシェイクスピアやブレヒトなどの舞台を経て、S・ベケットの戯曲などに傾倒す る。97年、映画技術美学講座(現・映画美学校)第一期生の時に、講師を勤めていた 黒沢清(監督)・高橋洋(監督・脚本家)の推薦を受け、関西TV「学校の怪談G」の 短編枠で脚本・演出。さらに99年、ビデオオリジナル版『呪怨』『呪怨2』を脚本・ 監督する。01年、『富江re・birth』で劇場映画デビューを果たし、02年に劇場版 『呪怨』を監督し、ミニシアターながら興収5億円の大ヒット。世界20ヶ国以上で公 開が決定する。続編『呪怨2』は前作を超える11億円を記録公開前に本作『THE JUON/呪怨』の製作が決定し、プロデューサーの1人サム・ライミたっての希望で監 督を務める。そして04年10月、本作が全米公開となり、オープニングで4000万ドルの 大記録を打ち立ててハリウッド映画史上初のbPを獲得した日本人監督となった。
清水崇監督
『リング』という先駆者がありながら、ジャパニーズ・ホラーをアメリカに根付かせた功労者は間違いなくこの『THE JUON/呪怨』だ。ハリウッド・ホラーの巨匠、サム・ライミをして唸らせた、日本の「恐怖」はハリウッドが最も欲しい要素のひとつだった。
「僕は最初断ったんですよ、リメイクの話を。でも、今回の話を受けた理由は、あくまで日本の恐怖をハリウッドに持ち込みたいというこだわりを制作陣が持っていたからなんです。サム・ライミが「アメリカ人が持ち得ていないような、ジトジトした湿っぽいジャパニーズ・ホラー独特の澱んだテイストをアメリカに持ち込んでほしい」そう言ってくれたからですね。だから、「この話はやりがいがある!」と僕も俄然やる気になったんですよ。だから、恐怖の対象を描く術にはこだわりましたね。」
アメリカでも数多くのホラーが作られているが、アメリカ人が抱く恐怖と日本人が抱く恐怖の違いを監督も懸念していた。
清水崇監督 「日本では黒髪に白装束がお決まりのパターンですけど、アメリカ人にはそれがない。アメリカで言うゴーストは、日本の幽霊とは違うんですよ。どちらかというと精霊的な、恨みつらみだけじゃない神秘性がありますよね、ゴーストや妖精には。例えば悪魔という存在がいたとすると、それははっきりと自分に向かってくる、もしくは自分を迫害しようとする意志を持った邪悪な存在だと言えるんです。もちろんそれが恐いのですが、日本の幽霊の場合は受け手が感じる感覚的なものがまるで違う。自分が何も悪いことをしなくても、何か訴えかけようとしているんじゃないかとか、そこにいるだけで何かおこりそうだとか、何かあって出てきたんじゃないかとか、すぐ「恐さ」につながっちゃいますから。だから、モノ言わぬ、意志がこちらに届かない恐怖は日本の幽霊の象徴的なところでしょうね。」
清水監督は、日本人とアメリカ人がそれぞれ抱く「恐怖感」の違いについて、やはり入念に考えていた。文化が違えば、信仰もさまざま。だからこそ、サム・ライミと監督の間では「日本の、黒髪の幽霊像」へのこだわりが強かったという。
「「黒髪のお化けじゃないと恐く撮れる自信はないよ」、僕は最初からサムにはそう伝えていました。すると、彼らも伽椰子と俊雄の役は同じ人で同じようにいきたいんだと答えた。そこは考えが一致しているなと思いました。でもアメリカで撮影しても、なぜアメリカに日本人の幽霊が出てくるんだ?と言うご都合主義になっちゃいますよね。であれば、まず撮影地は日本、人物設定は「アメリカから日本へやってきた留学生や家族が、言葉も文化も違う自分達を受け入れてくれるかもわからない環境」という孤立したシチュエーションに絞ったんです。そういった孤立感の中で描くことで、普通にアメリカで見る人も恐いと思うんじゃないか、と。」

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2月11日(祝)より渋谷東急他全国松竹・東急系にてロードショー
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