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SEX PISTOLS Biography ディスコグラフィ
1975年頃、キングス・ロードにあったブティック「セックス」の常連客、ジョニー・ロットン(Vo)、グレン・マトロック(B)、スティーブ・ジョーンズ(G)、ポール・クック(Dr)が、店のオーナーで元ニューヨーク・ドールズのマネージャーだったマルコム・マクラーレンの口利きでバンドを結成。マルコムをマネージャーに据え、活動を始める。グループ名は「セックス・ピストルズ」。

【1976年】
ポリドールやRAKといったレーベルとの争奪戦の末、EMIがピストルズと契約。デビューシングル「アナーキー・イン・ザ・UK」を発表。この時点での知名度は先進的な若者に限定される。同曲はそのあまりにも過激な内容のため、放送禁止となる。
ビル・グランディ事件が起こる。家族向け娯楽番組「Today」に生放送し、放送禁止用語を連発。これを見た視聴者から抗議が殺到。翌日あらゆる新聞のトップで事件として紹介される。その影響もあってか、「アナーキー・イン・ザ・UK」が27位にチャート・イン。
【1977年】
「アナーキー・イン・ザ・UK」のプレスが中止され、EMIは違約金を払い契約を解消。グレン・マトロック脱退。シド・ヴィシャス正式加入。
A&Mとの契約をバッキンガム宮殿の前で行ったが、わずか1週間で電撃解雇。シド・ヴィシャスの悪態、所属事務所のアーティストの反対などがその理由らしい。その後、ヴァージンと契約。契約金は1万5千ポンドと過去最低額。問題曲「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」リリース。エリザベス女王を低能とこき下ろし、女王の顔に安全ピンを刺したジャケット写真は大問題となり、イギリスの放送局が軒並み放送禁止処分を下した。同曲は初登場11位にチャート・イン。
チャート上昇を不快に思ったイギリス音楽業界の上層部が必死に阻止し、チャート操作の結果、全英2位に終わる。
女王座位25周年式典で、テムズ川に「クィーン・エリザベス号」という船を浮かべギグを行う。多くの警察船にまわりを囲まれ、演奏の中止を命ぜられる。この時、観客と警察側で騒動が起き、マルコムを含む10人が逮捕。
「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」の影響で、ジョニー・ロットン、ポール・クックらが愛国主義者から襲撃を受け負傷。サードシングル「プリティ・ヴェイカント」をリリース。全英7位まで上昇。4枚目のシングル「ホリデイズ・イン・ザ・サン」リリース。
【1977年 10月28日】
デビューアルバム「Never Mind The Bollocks (勝手にしやがれ)」リリース。予約だけで12万枚を売り上げ、全英チャート初登場ナンバー・ワンを記録すると共にゴールドディスクを獲得。名実ともにパンクの象徴的な存在へ。
【1978年】
アメリカツアーを実施。シド・ヴィシャスはベースで客を殴るなど各地で大暴れ。ツアーの最中、ジョニーは、自分達がマルコムの操り人形だと思うようになる。14日のサンフランシスコの公演で「だまされた気分はどうだい」と言い残し、ジョニーがピストルズを脱退。実質ピストルズ解散。
【1978年 10月11日】
シドの恋人、ナンシー・スパンゲンが刺殺体で発見される。その2日後シドは殺人容疑で逮捕。ヴァージンがマルコムを通じ5万ドルの保釈金を支払い釈放。
【1979年 2月2日】
保釈記念パーティーで、シドがヘロイン過剰摂取で自殺。享年21歳。
【1996年 3月18日】
ロットン、マトロック、ジョーンズ、クックがピストルズを再結成。一度だけのワールド・ツアーを行ったのち、再び活動を休止。日本武道館でも公演。
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