| Excite:直太朗さんにとって2004年は、1st フルアルバムのリリースがあって、初のライヴツアー、学園祭ライヴなど、大変忙しい一年でしたよね。
直太朗:2004年の活動に関しては、実験的なチャレンジがたくさんあったし、すごく自分の中では“出来ること”と“出来ないこと”の分別がハッキリした、実りある一年でしたね。
Excite:その実験的なチャレンジというのは、具体的にはどのようなこと?
直太朗:初めてのライヴツアーと、それにともなった舞台での内容ですね。初めての試みが多かったんですけど、お客さんとの関係性・信頼関係というのは、着実に築き上げていけたんじゃないかなって実感しているんですけど。関係性や信頼関係がないと、やっぱり次に進めなかったり、すごく御座成りな関係性になっちゃったりするので。その辺は、程よく期待に応えて、程よく裏切りながら(笑)。
Excite:ライヴツアーにおいては、1stフルアルバムをリリースしたということもあって、反響も大きかったと思いますが、御自身ではライヴを通じて感じたものはありましたか?
直太朗:アルバムがどれだけ売れたかって言うよりも、どういう風に人から人へ伝わったかというところでは、着実に良い経緯を辿ったんじゃないかなって思いますね。ライヴを通じて感じたことは、リスナーの方と交流を持てるのは、やっぱりライヴだなって。僕のライヴっていうのは、ただ音楽を聞かせるだけのライヴ形式ではないので、非常にその辺の賛否を覚悟の上でやったライヴだったんですよ。でも、みんな楽しんで帰っていただけたので、「次に繋げなければ」という思いが湧いてきましたね。逆にそれはいい意味でのプレッシャーやストレスでもあるんですけどね。
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Excite:なるほどね。ちなみに、2005年はどのような一年にしたいですか。
直太朗:そうですね。まず自分の環境、作品のリリース、舞台など、何から出来るんだろうかということを純粋に考え、それを行動に移せる環境づくりっていうのを整えたいですね。しいては、僕や、僕以外のスタッフの人たちが、それぞれの才能やパフォーマンスを高められるような、活気のある現場に出来たらなって思ってますけど。あとは、作品に引っ張られるように、いつも“歌わざる終えない”みたいな(笑)、きっとそういう一年になるんじゃないかなって思っているんですけど。
Excite:直太朗さんといえば、「夕暮れの代弁者」や「起き抜けの革命家」などといった、独特なキャッチフレーズを毎年掲げていらっしゃいましたけど、今年はどのようなキャッチフレーズを用意しているんですか?
直太朗:えっとね、そういうのは無くなっちゃったんです(笑)、自分の中で。最初の頃は、すごく共感性の高いラブソングを歌っていたわけではなかったし、マーケットの中で、すごく分かりにくいポジションにいたと思うんですよ。だから自分が「こういうポジションでこんなことを歌ってますねん!」っていうのを、とにかくどこかで記したくて、いつもこういうお喋りするときに言っていたんですよ。そろそろ、その一つの土俵に上がって、あとは自分の目の前にある作品を、できるだけ高い可能性をもって伝えられたらなっていうことに気持ちが切り替わっていて。あまり自分がどんな人間でとか、どんなポジションでということはどうでも良いかなと。なんか(キャッチフレーズを)募集中みたいな(笑)。
Excite:募集中って(笑)
直太朗:でも本当そう、「あなたなら僕をどう思いますか?」って聞きたいくらい。それは僕もわからなくて。 |
Excite:2003年、2004年の2年が経過したというところで、自己紹介的な期間はある程度終了ということですか?
直太朗:そうですね。でも、まだ自分の作品をコアに愛してくれている人たちと、まったく蚊帳の外の人たちやグレーゾーンの人たちとの認識の違いというのは否めないところはあるので、一人でも多くの人に楽曲を聴いてもらいたいですね。作品を通じて触れ合いたいし、少しでも幸いの方向に向かえばいいなって思っている中で、実はまだイントロダクションの期間は続いていて。自分の中で3年ぐらいというのをちょうど1クールという風に考えているので、テーブルの上にポンと上がったのが「さくら」をリリースした2003年だとしたら今年が1クールの区切りという感覚なんですよね。ですので、どういう風に一つの段落を終えることが出来るかなというのが、自分でもすごく楽しみにしているんです。
Excite:その1クールの最終年となる2005年、最初のリリース作品『時の行方 〜序・春の空〜』が到着しましたね。制作はいつ頃からスタートされていたんですか?
直太朗:作品の構想に関しては、2004年のツアーが終わったあとですから、夏頃に「年明けにリリースしようね」って話していました。
その時から僕の中では「こんな曲がいいなぁ」って思ってたけど、10月くらいに「この曲にしよう!」って決まったんですよ。ただ、夏以降に関しては完全に休養を取ろうということにしていたんですね。それまで結構、発信発信でいったので、一息する時間も必要だと思っていたので、12月まではずっと休みでいこうという感じでしたね。少しずつレコーディング活動に移していければいいなっていう感じで進めていきました。
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