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総力特集 Vol.8 いきものがかり TOP
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音楽的価値観
吉岡聖恵 01 02 水野良樹 01 02 山下穂尊 01 02

いきものがかりのファーストアルバム『桜咲く街物語』の中でも独特の雰囲気が印象的な「ひなげし」や「タユムコトナキナガレノナカデ」などの作詞・作曲を担う山下穂尊にとって、音楽とは…と聞くと、驚きの答えが彼の口を続々とついて出る。「本当は今でも音楽そのものに対しての興味ってさほどないのかもしれないんですよね」なんて笑顔で話す山下。その飄々とした言葉を口にしながらも、歌うこと、音を鳴らすことの楽しさに対しては貪欲な彼の核心に迫るべく、山下の音楽観を掘り下げる。もしかして、彼自身もこんな風に改めて“音楽”について考えることはなかったのかもしれない。誠実に真摯に言葉を紡ぐ彼の描くジャンルレスないきものがかりワールドの秘密を山下自身の言葉から紐解いていこう。音楽一辺倒ではないようでいて、それでも常に傍らにあった音楽。その日々の中で最も大きかったもの。それはピアノ。それは歌。それはギター。それから…。

(取材・文/えびさわなち)
小さい頃はNHKでやっている「みんなのうた」が好きだったんですよ。特に「手のひらを太陽に」が。あの曲を聴くたびに「ロックだなぁ〜」って思う子供でしたね(笑)。4歳とかでしたね。「みんなのうた」って平和な歌が多いのに「手のひらを太陽に」はアッパーチューンだし、すごくカッコイイなって思っていました。その記憶が憶えている一番古いものなだけで、だからと言って音楽好きの子供だったかというと、特にそういうわけでもなくて。実際に家族も“音楽大好き一家”とかっていうこともなく。父親はジャズが好きで母親は松任谷由実や竹内まりやが好きだったけど、それを自分が聴いていた印象もなかったし。ただ小学校の3年生くらいにピアノを習いだしたんですよね。妹が習うから親が「あなたもやれば?」くらいの感覚でしたけど。でもやりたいと思ったわけではなかったから、通うのは嫌でしたけどね(笑)。そんなに練習もしなかったし。ただそこでピアノ教室に行ったことでコードが分かるようになったんですよね。それでコードに合わせて変なメロディを作って遊んでいたっていうのを憶えています。本当に今、思えば簡単な作曲作業をしていたってことになりますけど、当時はそんなことをわかってないですから、なんとなくメロディを作っていましたね。だからといって、音楽を好んで聴いていたわけでもなかったくらいだし、小学校の音楽の授業にも興味がなかったし。本当に無意識的なものですよね。その小学校の卒業のときのお別れ会で、良樹がギターを弾いて歌っているのを見たときも「この人、こんなことが出来るんだ〜」くらいで。でも当時、あの年でギターを弾ける子っていなかったし。僕らは、僕が仕切って『インディー・ジョーンズのテーマ』を合奏でやったんですよね。耳コピーして僕がピアノを弾いて、音楽室にある楽器をみんなが色々とカウベル入れたり太鼓を入れたりして合奏していましたね。ピアノ教室の経験はそういうところで生きていましたね。今、振り返れば。

それから中学生になって、塾の先生がバンドをやっている人でギターを教えてくれるっていうので、弾けないよりは弾ける方がいいかなっていうくらいの気持ちで、毎週1時間早く塾に行ってギターを教えてもらうようになったんです。最初にチューリップの「心の旅」をコードで弾けるようになった、それがギターの最初の経験ですね。ギターは先生のを借りて練習していたから自分のギターも持っていなかったんですけど、田舎に叔父が昔使っていたギターがあったので、夏休みに帰省したときにはそのギターを弾いたりしていましたね。叔父が使っていたであろう歌本もあって、子供ながらも知っている曲を見つけて一所懸命弾いて、歌っていました。「戦争を知らない子供たち」とか。良樹もそうだと思うんですけど、ギターを弾くことが楽しいんじゃなくて、ギターを伴奏にして歌うことが楽しかったんですよね。それからは米米クラブの「浪漫飛行」とかも歌ってたなぁ。ピアノだとメロディは右手で弾いて伴奏は左手だけど、ギターで弾くと伴奏だけだから右手の変わりに自分が歌うっていうのが楽しかったですよね。ピアノが音楽を自然に鳴らすための出会いだったとしたら、ギターは歌うことが面白いっていうのを教えてくれたものだったと思いますね。

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